画像をクリックしてください

 

 

 

 

 

人物と作品 

 田中完侍さんとは、千光士がはじめて関西に居を移したころに出会った。そこは神戸のウイスキーバーで、住んでいた山本通りのマンションの隣の屋上にひっそりと存在していた。アティックという名前の落ち着いたバーで、全盛時は名の知れた店だったようだ。しかしその当時は通りからはほとんど目立たない上に、どこから店にたどり着くかもわからないような状態だった。5階の窓からわずかに明かりが確認できた。そこで妻とおもしろそうだから行ってみようと向かった。そこで名物のマスターに出会い、常連だった田中さんとも出会った。彼とはそれ以来のつきあいで、今回のこの企画に率先して賛同してもらい、すぐに彼を描くことになった。
 彼は幼い頃生死をさまよう大病を患った。そのことが親御さんの存在を強める結果になったように思う。そして現在一緒に暮らしているお母さんの影響が大きい方だなと思った。ウイスキーやマニアックな食へのこだわりの強さ、今の時代の青年をある意味象徴している部分もある。繊細さと優しさ、浮遊したような独特の存在感がある方だ。仕事は以前音響の仕事に携わっていたが、今は資材工場の現場仕事に勤めている。
 彼は30歳過ぎだが少年のような風情があり、無垢なかわいさと透明感があった。直接ご自宅で会話をして、彼の今まで知らない部分を感じた。当初作品に生まれた場所の土を使用するという意図があった。結局顔料の一つになったが、人間を表すのに土は興味深い材料だと思えた。しかし使いこなすのが非常に困難だった。材料をうまく料理しきれないので絵に集中できなかった。当初私は彼のいろいろなことを含めて、作品に置き換えようとした。それは私が少なからず彼の私生活を知っていたからだ。次第にそれが間違っているのが分かった。それは置き換えるまでもなく、すでにからだに表現されているはずだ。それを察知できないのは表現者として鈍感なのだ。そしてずいぶん時間が経ってようやく描くことが出来た。作品をあらためて見ると、彼には私にない繊細さがあって、今までの私の作品にない何かが確かに反映されたと思っている。
 作品を彼の自宅に置いてみたが、ガラス越しに光を浴びて、紙の荒さがいい雰囲気に思えた。生きた空間で生きた光を浴び朽ちてゆくのは自然で素敵なことだろう。別段無理矢理厳重に保護する必要もない。それは人間とおんなじだ。作品も人前にさらされ自然にさらされ、時を経て成長してゆくだろう。彼は両手で私の両手を強く握りしめてくれた。私は10年後にまた描かせてください、と言った。
 彼は両手で私の両手を強く握りしめてくれた。私は十年後にまた描かせてください、と言った。
 作品はアクリル額の外形が586mm×668mm奥行き40mmである。木製パネルに麻布を接着。ジェッソで塗装の上、メディウムを混ぜた土を塗った。作品は阿波和紙強制紙にやはりメディウムを混入した土と墨によって描かれた。

2011年3月15日