川井均



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川井佳奈江さんと作品

 

 

人物と作品   川井佳奈江写真

 川井佳奈江さんは昭和38年9月17日に高知県南国市で生まれた。ご実家は精米所でご両親と妹さんの四人家族で育った。
 彼女が16歳のときに近くの道路沿いにある建物が建ち始めた。その大きな洋館を見たときに彼女は「ここで絶対アルバイトをしようと決めた」そうだ。それがレストランHERAだった。そしてアルバイトの応募が殺到する中で見事に合格した。
 佳奈江さんはHERAでは相当お客さんの人気を集めたそうだ。わざわざ彼女を見るためにファンが来る。中には親を連れて来て、「この人が結婚したい人だ」と言って来る方もいるほどの人気だった。
 結婚は21歳のときだった。レストランHERAの専務だったご主人の均さんとは高校生くらいの時から結婚を決めていた。長女が生まれて1年は仕事をしていたが、その後専業主婦になった。3年は子育てに専念した。率先して幼稚園の役員も勤めた。その頃の仲間だった方達のつきあいは30年近く今も続いているそうだ。
 子育ても落ち着いた頃生命保険会社のセールスレディになった。子育てもしながら好きな時間に働けるからという理由で入ったが、成績は一番になりたかった。そこで保険屋が営業しない会社を見つけては社員全員加入させたり、外回りの営業の会社などで夜帰宅するのを待って向こうが音を上げるまでがんばった。本当に続けてくれて必要な人を見つけようとした。成績は上がって皆の前でその結果を発表するのが大好きだった。3年で主任になるところを2年で昇格、4年で組織長にまで駆け上がった。0件が許されない世界なので、夜は新人の応援にまわった。夜の12時に南国市から2時間以上離れた室戸まで応援に行った。営業先のない新人には一緒に飛び込みまで行った。洗濯物を見て家族構成を把握して、一番いいところをほめる。相手のいいところを引き出して、一緒に家族のアルバムを見るところまで親しくなる。何度も営業に向かって親しくなった。そんな生活を6年間勤めていた。36歳になったとき子どものことが心配になり思い切って退職した。お子さんは3人出来て一番下のお子さんが学校でいじめられたときは、学校に乗り込んで行った。体育館に生徒全員を集めてくれと言い、警察も伴って先生とも協力して解決した。そしてこのときの先生はいまだにお店に来てくれるそうだ。もちろん生命保険時代の職員たちともいまも交流がある。
 そして退職してからはお店と3人のお子さんのためにすべてを捧げている。
 
 川井佳奈江さんを描かして頂くことになったのは、ご主人と娘さんを描かせて頂いたご縁からだった。そんな流れの中でお話をお伺いすることになったのだが、なんというかすごい方だった。エネルギーの塊と言うかじっとしていない。やるからには上を目指すという意欲や、困難なことでも平気でこなしてゆく情熱と聡明さがあり、お話も大変面白い方で驚いた。HERAさんとはひょんなことからおつきあいが始まって、巨大な作品を描き、さらにご主人と娘さんから奥様まで描いていったが、不思議なつながりが続いて感慨深い。佳奈江さんは大変美しい方だったのでその美しさと強さ、母としての優しさを含めた作品を作りたいと思った。できるだけご自身のもっている美的な部分を阻害することなく生かしたいということで、素材や筆運びを考えて製作した。娘さんはイタリア絵画にでも出て来るような横顔が印象的だったが、佳奈江さんには凛とした日本的な美を感じて作品に定着させた。

2015年8月16日