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人物

 千光士の小学校時代からの友人、こうちゃんこと恒石浩二さんは昭和42年10月24日高知県南国市に生まれた。男ばかりの三人兄弟の次男だ。お父さんは海辺の街で生まれた力強い土佐の男だった。お母さんも向こう気の強い女性でよく灰皿が家の中を飛び交ったらしい。お父さんは高卒で県庁に務め、たいへん人望のある方で退職しても老人ホームの園長に招かれたりした。その教育方法も力強いもので、台風の日にいきなり海に放り込まれたりする。海を知る、泳ぐことを知るということらしい。それは何かやらしてから教えるという方針だったそうだ。
 恒石さんは私と小学校、中学校と同級で同じクラスだったこともあって、学生時代の彼のことをよく知っている。クラスだけではなく学年のリーダー、番長であり、後輩からも憧れの存在であり続けた。他の学校でも名前は響いていて「恒石っしっちゅうろう」と路上で絡まれることもしばしばあった。しかし強いが恐いという印象を持ったことはない。いつだってこうちゃんは力強く優しい男だった。学校の裏のバックネットでの印象的な決闘とかは今でも憶えている。
 学校で卒業生のワルと大立ち回りをしたことも伝説になっている。誰かがおどかされて、代表出て来いと言われた。いろいろあってその相手のバイクにしょんべんひっかけて果たし状をねじ込んだ。決闘は土曜日の人のいない教室。彼らはバイク三台でやって来て一人上がって来た。顔を出した途端にいきなり殴られた。何発かやり返して、ちょうどいい棒が手元にあったのでボコボコにやり返したら、頭から出血したので「よし」と思って膝蹴りで壁に打ち付けたら教師に止められたという話だった。まあそういった武勇伝には事欠かない。高校時代もいっぱしのワルで通ってたらしい。
 高校卒業してからはタイルの作業現場で15年働いた。23歳で高校の同級生と結婚。一男二女、子供三人を授かった。しかし結婚生活は13年で終わり、男手一つで三人の子供を働きながら育てた。「けんどバイクで大腿骨骨折、卒業してもバイクで崖から落ちる寸前までいったり、ケンカ相手十数人とやらかして右眼窩壁骨折よ。退院したら自分が置いてきぼりになった気になった。こんなことやりゆう場合やないと思うたわ。一回底まで落ち込んだら夢が叶う、今まで考えもせんかったもんが見えるようになった。優等生タイプともつき合いだしたらええとこ見えてきて、不良より根性がある。ツッパりが根性あるがは間違いやと思うた。30過ぎてバイクで九死に一生を得たとき、死ぬ気で仕事しようと思うた。嫌やった営業やることになったわ。営業の大先輩の魅力にやられてトップで仕事とれるようになった。そこに長くおったけんど会社の社長の交代でどうしてもゆるせんような人がなったき止められても辞めたわ。そうこうしゆううちにたまたま面倒のいい親分に気に入られて、浄化槽の管理会社に入った。バキュームカーのドライバーとかねえ、最初かっこ悪いらあ思いよったけど、親分に言われたわ。人の生活に絶対いる仕事ぞ。恥ずかしいどころやない、胸を張ってえい仕事やぞ。今では俺もそう思うちゅう」
  





制作

 こういう人に恥ずかしくない仕事がしたい。そんな風に思った。しかし気持ちが先走って制作は難航を極めた。70点以上は描いたがどれもしっくり来なかった。いくつか墨だけで簡潔に描いた作品があった。その何点かは強い印象の残るものだった。いろいろ作っているうちに実はその一瞬で描いた作品がいいんではないかと思い始めた。顔が似た絵はほかにもあったが純度の高さ、恒石浩二という男の強さを表している瞬間はそれだった。
最後にはそう決断した。

  作品は額装の外形が557mm×446mm奥行き30mmである。


                 2011年12月30日