西一明



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本多千紘さんと作品

 

 

人物と作品   西一明写真

  西一明(にしかずあき)さんは昭和22年8月8日に香南市野市町中ノ村で生まれた。
 兄弟は姉と二人、両親とも先生だったそうだ。父親は教師だったが農家も営んでいた。母親が退職して専業主婦になったので、父親は土日は百姓でもやらないと教師だけでは食べていけない時代だったからだ。東小学校から野市中学校に進学、高知工業高等専門学校いわゆる高専に進学して化学を専攻し五年間通った。会社員になる予定だったが親が教師になることを強く進めて、一浪して愛媛大学教育学部に進学した。25歳で教師になり、鏡野中学校で8年、野市中学校では10年勤めた。この中学校の生徒が千光士誠だ。
 赤岡中学校に赴任して本当の教師になったと西さんは語った。赤岡中はどちらかといえば当時荒れた学校だった。学校でなにかあるのはまだ良かった。外で何かあれば呼び出されて赤岡警察とはずいぶん仲が良くなったと言う。他校との暴れ合いとかやっかいなことが多かった。しかし結局トラブルを起こす子供たちはかまってほしい、愛情に餓えていたのだと思う。西さんはそう語った。
 その後、夜須の中学などに赴任された。夜須などは農業が地盤らしくそういう土地は人間も落ち着いていると言う。羽根の中川内中学で教頭として3年間勤めた。最後は野市中で2年、57歳でそのまま早期退職された。親御さんの認知症の介護でご夫婦一緒に辞められたそうだ。ちなみに奥様も教師で実家が百姓だったそうだ。お子さんは二男一女で立派に独立されている。
 実家の畑の管理を続けてこられたが、この十年でやっと野菜が作れるようになったと西さんは語る。奥様は実家が農家だけあってご意見も手厳しいそうだ。
 教師生活に悔いはないと語る。人間を磨くことが出来たので、大変ではあったが赤岡中学校の存在は大きかった。農業も最初は大変だったが、親戚の農家の方が親切に教えてくれることで自分も成長した。野菜は正直で愛情を与えれば与えるほど返って来る。畑に何時間いても落ち着くし、かけがえのない子供のようなものだ。しかし出来が悪いと考えてしまう。またそのことが面白いと語る。余力があるうちに夫婦で同時期に早く辞めてよかった。そう満面の笑みで西先生は語った。
 千光士が西先生と出会ったのは、まだ先生が青年の風貌を残した若かりし頃だった。直接の担任を二年間続けられていつも会うたびに話されるのが学活ノートのことだ。当時生徒が教師に毎日あったことをノートに書いて報告する義務があった。五行程度の枠に大抵は簡単な報告があるくらいだが、千光士はびっしりそこにいろいろな事柄をおもしろおかしく話題たっぷりに書く。毎日それが楽しみでそれ以降もそんな生徒に会ったことがないと言う。あまり面白いでなぜか生徒の間でも回し読みされる位に話題になっていた。そうでなくても千光士のノートや教科書には絵がびっしりと描かれていた。
 卒業後も西先生は同窓会には必ず出席してくれた。容姿はずいぶん変貌されたが昨日会ったように気さくに接していただける。青年のような雰囲気はお会いすると少しも変わってないなといつも思っていた。しかし今回こういった試みに賛同していただいて直接お姿を描かしてもらったが、描いてみてわかったのは農夫の風貌をしていると感じたことだ。理屈はない。ただ本当にそう感じた。確かに西先生は青年教師の風貌をしていたが、今は農民の顔だった。それはなにか自分でも驚きだった。
 それを少しでも絵に出来たらと考え作品を作ることにした。


2015年2月1日