川井均



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辻井啓司さんと作品

 

 

人物と作品   川井均写真

 辻井啓司(つじいけいじ)さんは昭和53年11月5日に京都府城陽市に生まれた。ご両親は公務員で3兄弟の長男だ。
 生き方の方向は早い段階ではっきりとしていた。中学生時代から家具職人になりたかった。大学に行くよりすぐに職人になりたい。だから高校を選ぶときも実業高校に進んだ。高校は産業デザイン科を専攻し、3年になるとコースが分かれてインテリア学科に進んだ。そしてその産業デザイン科時代に運命の出会いがあった。その友人は当時こう言ったと言う。「人の下について仕事をするなんて考えられない。だから将来は自分で会社を興す」そんな男だった。そして高校時代も家具職人の夢は揺らがず大丸木工という大手の会社に就職した。
 しかし大手の会社での流れ作業は、家具の部分しか触れることができず不満だった。両親は大反対だったが2年で退職した。そのときに高校の同級生が設計事務所をおこすという話を聞いて奮い立った。向こうはデザインでこちらは施行、誘ってくれたのもあって一緒に仕事がしたいと思った。しかしこのままの技術では中途半端だ。だから小さな家具屋で一から腕を磨くことにした。別注家具屋の小さな会社で一通りの技術を憶えて3年、設計と家具分野に分かれ4人で会社を立ち上げた。しかし仕事の依頼は3年くらいはなかった。だから家具も内装もやった。大工さんが出来ない細かいところの家具も作った。それがなんとか形になって来た。設計事務所は京都の町中にあるが、家具の施行現場は鞍馬の山奥にある。そこで3年は一人で作業を黙々と行っていた。今も携帯も繋がらない場所で、仕事で帰るのも忘れる日々でやっと仕事が軌道に乗った。会社を立ち上げて16年が経っていた。今では様々な賞を取れる評価も得ることができた。
 普通の会社と違って直接お客さんと接して反応を得ることがうれしい。なんとか続けることが出来て、やっと手応えが感じられるようになった。家具職人としてのクオリティが上がって来たと辻井さんは語る。今の仕事に悔いはないし、自分が満足出来る仕事がしたいと言うのが夢だ。難しい依頼が来たときにどうするか。イメージをどうやって具体化するか。同僚と二人で切磋琢磨している。今も帰るのも忘れて好きで夢中で仕事をしている。イケヤのような大型店舗で短い寿命で安い製品を販売するやり方もあると思うけれど、高くてもオーダーメイドの一生使える製品を作るのが自分やるべき仕事だ。辻井さんはそう語った。

 千光士が辻井さんと最初に会ったときの印象は、素朴で真面目で繊細な方だという印象だった。それは共通の友人でもある、かのうたかおさんと同じ雰囲気がした。そしてその容姿、体つきに触れてまさに家具職人にふさわしい人だとも思った。持って生まれた天分に正直な人だと思った。
 お会いして連れて行かれた場所は携帯も通じないような山の奥地だった。ここで木工の実作業を行っていると言う。水道もないので小川の水を湧かしているし、冬は零下まで下がるような場所だ。それでも青空と山の空気を堪能出来る素敵なところで、ここなら集中して仕事ができるだろうと思った。このプロジェクトにもすぐに共感して頂いて、何の迷いもなく作品も完成した。ここまで迷いなく進んだこともめったにないことだった。それは土の背景の色やヒビ、描き方まで流れるようだった。辻井さんの生き方を伺っていて納得したのは、やはり自分の天分にまっすぐに進んで来た人だと言うことだった。家具を作る人。それがからだからにじみ出ている。そして私も迷いなく描いた。

2015年5月31日