あたりまえじゃない

2011 12月21日

先日授業でこんなことがあった。

10年くらい油彩やってる年配の男性だが、絵のサイズの話になった。歴史に残る画家の人物作品を見せながら、まず対象があって描き方道具が決まって、サイズも決まると説明した。目を丸くしている。だいたいカルチャーセンターは絵具の使い方くらいしか教えないだろうからなあ。全身を描くときFじゃあまわりに余白が出る。(絵画のサイズはF、P、M、Sがある)全身描くと東洋でも西洋でも縦長の構図、サイズになる。近代ではホックニーを例に指摘、対象者の個性によって絵のサイズを変えている。落ち着いた人物は正方形に近いサイズになり余白もゆったりとって絵も繊細な描き方になる。絵が先ではない。ホックニーはかなり練り込んだ構成をしているので明快だ。古典絵画は建築との関係が密接なので、今よりもっとサイズに関して厳密だ。なんでFばかりなんですか、なんて聞かれたが、売り手の都合もあるし、ルーズに描けるので日曜画家には都合が良かったんだろう。美大でもそんなに言わないし楽だから考えないんだろうな。実際Fで人物を全身描くと、余白が左右に余る。仕方なく背景描いたりするとヘボイ絵が出来る。どれも似たぬるい作品が出来る。ああ、才能がないなあとなる。才能とか感覚という言葉ががいかにあてにならないか。

それよりも当たり前とされていることに対する厳しい視線のほうが大事だ。頭使わないとろくな結果にならない。