あの頃の生活

2006 3月26日

新聞はやはりいい情報が多い。テレビは視聴率が関係するからおいしい情報しか流せない。新聞をじっくり読むと、市民の声を取り上げる箇所や密着した情報を見れる。そこでいつも感じることは子供たちには受難の時代だということ。社会に監視され押しつぶされそうになって声を上げることも出来ない。知人の子供も登校拒否で試験にしか学校に行かないなんて話聞くと、たまらない。

僕は地方の公立中学に行った。町に中学校はそこしかなかった。私立の学校なんて市内にしかなかった。生徒は小学校からそのまま行った連中がほとんど。校内暴力の時代だから圧迫されることはなかった。まあ先生は圧迫されていただろうけど。生徒同士が喧嘩することもあったしいじめもあった。どれもわかりやすく目に見える場所で展開していた。大体肉体的決着ばかりだ。番長がいたのである程度の秩序があった。隣の学校からバイクで殴り込みに来たときも番長が表に立って立ち向かった。僕は番長ともいじめられている側とも先生とも仲良かった。それぞれが個性がある方がいい空気があったし、僕は個性的だったからだろう。授業中は落書きばかりしてたし、映画とマンガとビートルズと深夜ラジオと好きな子のことで頭がいっぱいだった。友達とこっそり将棋を指しながら遠くに見える海を見たりしていた。休み時間の10分は小学校ならドッジボール、中学校ならプロレスが短い時間にみんなで夢中になって、どちらかと言えばドッジやプロレスの間に授業をやってた気がする。試験勉強も一夜漬けで、大体ラジオ聞いて笑ってたか夜中にこっそり家抜け出してダチとしゃべって音楽聞いてたか。そんなことやって今に至ってる。