からだで見ろ

2011 8月29日

意味でものを見る人が多い。

絵の世界でもこれ多い。絵そのものを見れない。つまり教養として見ている。脳で見ている。音楽だと解説見るより聞いた方が早いが、クラシックだとか現代音楽だとそうなる。芸術だとそうなる。教養で絵を見ると絵を描けない。自分の腕とインプットされた絵との差に戸惑う。でも絵は子供でも描ける。つまり誰でも描ける。絵はこうだ、という強制が頭にあるから描けない。手は描けるのに頭が描けない。だから社会人の生徒さんはこだわりがない人の方が「絵を描ける」そうなると脳で作品を見ろと強制する輩はすべからくうさんくさいわけだ。いっぱいお勉強したことを自慢したい人がほとんど。なおかつタチが悪いことに押し付けてさえ来る。アホ。冗談じゃねえぞ。表現ってのは真逆の世界だ。

これは人間観にも共通してるように思う。肩書きで人を見るのに近い。結婚相手とかもそうだ。条件で見ると人間が見れない。嫁さんの会社の人事は経歴でしか見ないからろくなやつがこないんだそうだ。最近は使えない京大、北大がゴロゴロいるらしい。しかし人間を見るってのは難しい。基準がはっきりないからね。仕方なく経歴で見るという話だ。これも責任を問われるのが恐いから目に見える安直な方に流れる。しかし、だ。リスクも引き受けて人を判断しないとだめだろう。