さめたリアリティ

2011 11月25日

三島由紀夫の小説を思い出した。

短編の「慈善」「鍵のかかる部屋」など独特のさめた視線に現代的な青年像のリアリティを感じた。三島はあの死で狂ったナショナリストの印象を強めてしまったが、描く小説は古典的骨格を基に現代的なモチーフを取り上げて詩的で鋭利に構築してゆくものだった。そこにはナショナリストというよりモダニストの匂いの方が強く、いわゆる右翼とは対局のものだった。一時期その詩的で美的な世界に魅せられたことがある。三島は異常に人間の心理に敏感だったように思う。見る見られるということについて。それがなぜあんな死に結びつくのかいまだもって分からない部分は多い。それにしても美しい「午後の曳航」「獣の戯れ」「金閣寺」「愛の渇き」などには魅了された。ひさしぶりに思い出したのは「沈める滝」だった。主人公エリート青年の持て余した自分と世間への距離感。さめた倦怠感と底に眠る青い情熱。密度の濃い人間関係の中で芽生える一瞬の人間くささなどは忘れがたい。そしてなによりも共感したのは微妙な細部の感覚だった 。

そういえば最近若松孝二が三島由紀夫の自決に関する映画を撮ったようだ。