はったおす

2012 4月21日

昔こくられた女断ったら、あとで実は神経がどうこうなっててと言われた。その後どっかに消えたな。嫌われると思ったみたい。

まあよくある話。僕はあんまりビョーキがよってこないんです。恐いんじゃないか、というもっともなご意見が多い。(笑)衛星のように遠巻きに見ているかね。よく知らねえが。俺もビョーキはめんどくさいしだるい。引き受けるほど金八じゃない。

神経病んでもいいんですよ。行くとこまで行けば。狂気ってのも悪くない。でもね、ビョーキ主張する輩はプチ病人が多い。

絵に携われば携わるほど、意識と運動の問題と思うことが多い。ライブペイントなんかまさに運動であり、観客と一緒に描く、それでいて他人の目を排除する世界だ。他人の目を排除するには狂気もいいんですよ。絵はやり直したりいつまでも描きなおすイメージが強い。それで失うものも多い。音楽と一緒にライブをやると時間を意識する。四、五分以内だとちょうどいい。制限時間内だと運動の要素が強くなる。音楽と観客という部分も加わるとさらに演じる部分も加わる。音楽なのか舞踏なのか絵画なのか判然としなくなる。それはまさに古代美術の原点のようだ。今回の個展では家のアトリエではなく、屋外をアトリエにして観客とともに描いたわけだ。

それから今回はバーに協力していただいた。これはクライアントであるお店に観客を動員し、利益を上げる意図もある。もちろん展示は無償提供だ。展示の場所も確保出来るし、販売の場所も確保出来る。実績を上げれば他の場も確保出来る。ギャラリーという場に置けば安易にアートになる環境とは違う。ギャラリーは経済的制約がある。貸し画廊なら金払うし、企画はタダだがマージン高いし売れ線ばかり。芸術業界のくせにリスクを怖がってアホみたいな作品ばかりになる。どちらもスケジュールの確保も必要でそうなると残りの人生で発表する機会は限られる。表現者は観客と作品、そして発表の場も開拓しなくてはいけない。まあそれに美術おたくに作品みせんの嫌なのね。もっとセンスのいいクールな連中に見せたいのよ。おたくに合わせるとダサくなる。能書き聞いてるだけでぶん殴りたくなるよ。(笑)