ふじわらしんや

2005 6月13日

藤代 冥砂、なんて写真家がいるらしい。藤原新也の別名儀と本気で思ってた。どうやら彼も新也さんのことは信奉してるらしい。作り方を見ればわかる。同年代だし。

バックパッカーに見せてもらったのが最初だった。写真のことはわからないけど、..,といって見せられたのが「全東洋街道」。衝撃的だった。生身が伝わった。きれいなお芸術じゃないなにか。「メメント.モリ」は文章の意味が強すぎるが、この作品ではストーリーときちんと融合しているし、文章が写真を壊していない。

写真家にそんなに興味はない。それでもひっかかるのは写真というカテゴリーに入らないなにかがあるからだろう。陽水なんかと似たものがあるかも。藤代 冥砂との違いは肉体の強さと詩情の違いかもしれない。冥砂は現代的で意味を消している。新也の場合はやはり意味と物語がある。それはともすれば写真の出来を引っ張るリスクがある。間違いなく物語がなくても写真が圧倒的に出てくる。なまじっか語れる不幸があるのかもしれない。だが性だけでなく死を表現できるアーチストはなかなかいない。

最近 新也さんのホームページ見て気に入ったことばがある。

「芸術というものを過大視してはいけない」

誤解されるかもしれないがそれはほんとうに正しい。だからあの写真がある。