ほたるの墓

2005 11月2日

このまえ実写版「火垂るの墓」見たけど、なにあれ。全然別の話じゃない。なんで主人公が親戚のおばはんなの?松嶋菜々子起用でスポンサーに気を使ったの?あれじゃあ、あの兄弟は世間知らずの旧世代の象徴で、松嶋が近代的なリアリストという図式で終わるし、彼らの死がぶざまにしか見えない。野坂サイドはよくオッケーしたね。頭に来た。

実際のほたるの墓はまったく違っている。彼らは誰に確認されるまでもなく、天涯孤独のなかで死ぬ。死ななければ意味がない。確かに小説と同じような言葉を語っている部分が多いけれど、解釈がまったく違う。安直な反軍国主義もうんざり。当時の人間には戦わなければならない切迫があったし、今の自分たちが簡単に断罪し過ぎてきた。まあそれが戦後のブロパガンダといえばそれまでだけど。

ところで野坂昭如の生き様はあの小説と似ていて、異なっている。戦災で養父母を亡くして一歳と四ヶ月の妹を連れて、中学三年生の昭如は親戚の家に転がり込む。随分ひどい目に会って家を二人で飛び出してついには妹を餓死させてしまう。小説ではここで兄も後を追うが、実際昭如は生き延びる。そして東京に向かい、なにがなんでもがむしゃらに生きる道を選ぶ。少年院に入っているところを実父に引き取られ、さまざまな仕事に手を染めながら有名な男になる。彼は死ななかったことで小説の中の主人公を死なせることができた。やはりそれは絶対に天涯孤独の中の死でなくてはならない。それがあの兄弟の魂の原石を輝かせる。