まなざしの先

2009 6月8日

情緒不安定な人で妙に目が泳いでいる人を見たことがある。あとでそうだ、と聞かされて納得した。目が口ほどにものを言うなんて言うけど、ある男は世間慣れし過ぎて変に人を査定する癖がついていた。表面的な情報で内面まで合理的に分析する癖がついた視線。あの気持ちの悪い視線はちょっと忘れ難い。いずれも普通に人が見れない。脳髄による偏った見方が介入した目線だ。幼児や動物の目線とは対極にある。

目線と言うものはいろいろなものを露にする。自分の想念で頭がいっぱいのタイプのまなざしもよくいる。いっちゃってるタイプだ。脳でいっぱい外側がない。人に惚れた視線も強いだろう。そんなに多くはないけど覚えはある。あれは不思議だ。自分の思いだけじゃない。相手を強く見るって言うのは特別なことなんだろう。こちらも同じ思いならまた見え方も変わる。ときどき言葉のコミュニケーションなんて馬鹿馬鹿しくなる。誰よりも多くしゃべった人と別れたことも多くあるからだ。相手の情報を誰よりも多く知っていても理解したことにはならない。対面して向き合ったとき、眼差しを露にした時。ほんの少し漏らした感情。そんなときに何かが分かる気がする。