ダイアリー

2011 6月27日

一対一のプロジェクトは人間としての興味と商業的な関わりという側面がある。もちろん商業が人とのやりとりで必要な道具や手段と考えての話だ。教えるということも、アートというものを整理、分析する側面ともちろん商業的側面がある。しかもそこではいつも相手を描いているのに描かれる側という部分もある。こちらからむこうへ、むこうからこちらへ、そういった循環がある。先日wks.の片山さんと話していたが、人類の肖像画の歴史の図録を観ていると、明らかに近代の作品がつまらない、という感想を二人とも抱いた。作品であったりアートと言う意識がこのおもしろくなさ加減を生む元凶だろう。形を踏襲しているだけだ。アートマーケットの問題は重い。違う、アーチストの問題が重いのだ。意識の問題がもっとも重要だと考える。わかってはいたが改めて観るとひどい。もちろん自分のことも顧みて、ちょっと自分もダイアリーを作るか、と思った。実は試みとしては7年前アートログという企画を立ち上げたことがある。アートのメモ、日常の記録、延長。そういう考えは以前からあったし一対一の企画もそうだ。あの企画は作品、商品、制約と相手とのやりとりの面白さがあるが、こちらでは反対に純粋にプライベートであることを目的にしている。現在ギャラリーであふれている作品の数々はプライベートを目指しているようで目指していない。本人の意思はともかくあるフォーマットに吸収されている。これを変えるには強引な制約を加えるしかない。もちろんこれは自分に対する批評でもある。まだまだ作品という意識が抜けないが、やってくうちにいろいろあるだろう。とにかくやってみることにした。これは作品ではない。思考や言葉やよくわからないもの、作品の経過、その他もろもろの夾雑物の記録である。アトリエの床に置かれた作品その他は二度と同じ位置に置かれることはない。その瞬間しか存在はしない。