ダイ

2010 5月19日

もう終わった仲だが、ダイについて思うことはある。

佐々木とダイと俺は青春のある時期、ともに悩み戦い、遊んだ。アートというなにかに真剣に打ち込んだ。そのころの思いでは本当に純度の高いもので、なにものにもかえがたいと今でも思っている。ダイは合理主義者で目的や結果がすべてであり、人間的な問題は無駄な部分だと考えていた。そして集団を組織することが好きだったし、一対一で向き合うことが苦手だった。かなり神経質な人間で、一対一だとそこが強く出てしまう恐怖があったんだろう。自分も彼とは人間的な話ができないと思っていた。だからアートの話をする一点で繋がっていた。もちろんそれは尋常なものではなかったんだが。しかしそんな自分をも自覚はしていて、妙に兄貴風を吹かせはするがやはりずれていた。人を人と思わない部分は大胆で感情を入れない行動に結びついた。

ダイはアートで成功し誰もが知る女優を伴侶にした。しかし作る作品は自分たちが目標としたものとかけ離れたものだった。そのことは伝えた。しかしそんなことは向こうには問題じゃなかったようだ。友人が全部入れ替わったとかいったあとに、突然俺たちに積極的に会いに来た。なくしたものを取り戻そうとしたのか?大勢の人間に会い過ぎたんだろう、人間を類型化して見ていた。このタイプはこうだから内面はこうだろう、こうに違いないと断定した。黙っていると悦に入っていた。褒められてばかりいたからこうなった?いや、元来批評はないんだろう。昔の俺の情報はよく知っていたが、結局俺のことはなにも知らなかったようだ。あんなにもしゃべったのに。ダイが作る集団にはいつも距離があった。それはさっき書いたように権力的な部分が彼にあったからだ。俺は権力に敵意があった。それがお互いよりはっきりとした形になって再開したとき、再び深い関係になるのは無理な話だった。だからいまだに会いたい人間にも連絡をしにくいのは、ダイの息がかかった人間には会いたくない思いのほうが強いからだ。

印象的な思い出がある。絶交するまで一年に一度は会っていた。しかし会うたびに目がおかしくなってゆく印象があった。俺を見ているようで見ていない。目のガラス体がガラスとして見えてしまう奇妙さ。 妻が一度ダイの個展で彼と彼の伴侶に俺抜きで会ったことがある。

奥さんより華やかな人ではあるけど。あの目、とやはり言った。