ヒカル

2010 8月20日

母にどやされまくったわけだが、まあ元気で安心した。

そんなときに宇多田ヒカルの休業宣言だ。若いアーチストの中でも突出した存在のシンガーだと思うので世間の方々同様不可解な感じがした。彼女の曲にはうったえるものがある。それはなんだろうと思っていた。漠然とした感触だが、小部屋からそれぞれの小部屋にうったえる感じがしていた。楽曲もアレンジもコーラスも本人だけということだけじゃなく。それが「今」であり大勢の共感を得る部分だろうが、昔の孤独とも違う気もしていた。たとえば清志郎の孤独とも違う。やつの音楽は外で歌ってた。国立の坂の上、外気が漂っていた。そして歌は「おれたち、よそ者」だ。やつには仲間がいたし、仲間がいるぜ、とささやいてくれた。宇多田の音楽に外の風のにおいがしない。クーラーやヒーターのきいた小さな部屋が浮かんでくる。仲間も浮かんでこない。なぜか気になってネットで本人の昔のコメントを読んだ。いろいろ書いてあったけれどたった一言の言葉だけ印象に残った。

誰もしかってくれない。

そんなことはなにもしらない母にふとこう言った。しかったり怒ったりするのは、根底に愛情があるからやね。

母は不可解な表情を浮かべ、そして静かに、そうよね、と言った。