ビィンセントの麦畑

2005 5月19日

あれはずいぶん昔、25歳の夏、バルセロナからアルルに向けて発った列車の中だった。僕はビィンセント.ファン.ゴッホの麦畑の絵を思い浮かべていた。自分が思春期の頃すでに彼は伝説で、ゴーギャンとの破局、耳切り事件、精神病、ピストルでの自殺は確かに強烈な印象を残し、誰もが物語り抜きには彼の作品は見れなくなっていた。最初にピストルでの自殺と聞いたときに僕はそれがてっきり頭を撃ち抜いたものだと思ってしまった。強烈なビリオドを想像したからだ。しかし実際は違ったようだ。腹を撃った。弟がやってきて最後の言葉を語るまで猶予があった。たぶんそれは確信的だったはずだ。

その頃の作品で印象に残るものには麦畑の向こうから黒いカラスの群れが立ち上がる「鳥のいる麦畑」なんかがある。これはオーヴェールで描かれたものだがアルルの麦畑を引きずっているし、南仏時代から今までへの思いが込められているようだ。しかしそれよりも好きなのは「嵐の空の下の麦畑」だ。彼はそこに悲哀と激しい孤独とを表現しようとしたと記している。確かにそれは悲しく美しい。

そんなことを思っているうちに列車はニースのほうに向かっていた。特急なので簡単に止まりそうもない。結局僕はあきらめてニースに滞在した。そしてそのあともなぜだかアルルには寄らずパリに向かった。

アルルには今もまだ訪れていない。