フットボール

2009 4月2日

日本にはサッカーより野球が合うんだろう。ピッチャーや4番の責任を負ったものは時間をかけてプロフェッショナルになる。しかしサッカーは違う。誰でもシュートを撃てる。そこで日本人の協調性という名の無責任さが露になる。日本代表を観ていつもイライラするのは自分たちを見てる気がするからだ。今の、いやある時期以降の日本人の青年のメンタリティーは同じだ。連中も年をとったのでつまりほとんどの日本人を指す。誰もが自分からすすんでシュートを撃てない。オシムは言う。

「日本のプレイヤーに欠けているもの。それは責任感です。集団の中での責任感と自分のプレーに対する責任感です。「しょうがない」「誰も悪くない」と失点したときに考えてしまうのです。」「日本の選手は一つのことだけ学ぶことができない。(ピッチで)誰も責任を引き受けたがらないのだ。疫病から逃れるかのように、彼らは責任から逃れようとする。」

まるで自分が怒られているような気分になった。それは厳しい言葉だ。彼はフットボールで人生を学んだ、と言う。そしてこうも言う。世界にはポジティブに考えようとしても、考えられない状況の人たちがいる。そういった人たちでもサッカー場に行けば夢中になり何もかも忘れられる。

そう言えば神戸にはサッカースタジアムがあったな。

今度言ってみようかな、とふと思った。