三十代 大島渚

2005 12月24日

僕の年齢も三十をこえた。その後大島は映画なんか作らずにただテレビに出ていた。もう作らないかな、と思っていたら「御法度」を作った。この映画は今の妻と初めて出会ったときに観た映画で思い出がある。老醜をさらすような映画じゃない、そこには殺気があった。そんなときに30歳ほど年上の人でリアルタイムの大島の映画とあの時代を知った人に出会った。そしてまだ観ていない彼の映画を観た。池袋の文芸座の特集も観た。そしてデビュー作「愛と希望の街」に特にやられた。日常の中の社会的欺瞞に銃弾を突きつけるような内容だったし、その衝撃は今も残っている。ここからはじまったのだ。

「御法度」の際のインタビューで何度かブちぎれる内容のものがあった。演技とか役者とかの前に人間がいる。だから既存の映画として解釈するなら僕の映画はまったくわからない!確かにその通りで彼にとっては映画はときに芸術以前の自分だけの表現方法になっていた。しかしとにかくそこに登場して溢れている人間が突出していて、演技とかライティングがどうとかいう前に人間が生命力溢れて輝くかに焦点があてられている。特に主人公とか中心に素人を起用して渦を作る。演技と言う虚構を壊しかねないスリリングさと、生身の人間のリアリティー。確かにそこには既存の映画観は意味がない。

黒沢は万人に愛されるだろうが彼の作品は決してそんなことはないし、それを望んではいない。それでも「僕はここにいる!」と彼の作品は叫んでいる。あたりまえの世界にただ一人異物でいることを恐れずに叫んでいる。「僕はここにいる!」と。