二十代 大島渚

2005 12月24日

東京に出て来て美術大学に進んだ。映像を専攻したので大島渚に再び出くわすことになった。それでなくても当時彼は「朝まで生テレビ」の重要な論客として話題だったし、「EXTV」「ボキャブラ天国」とかバラエティまで出ていてお茶の間ではおなじみだった。韓国の文化人との対談で「バカヤロー」と怒鳴った話は新聞まで掲載された。右翼が脅迫状を送ったとか物騒な話まで飛び交っていて、まあ有名な人だった。

当時はまだ大島渚の作品もレンタルしていたので、まず「絞死刑」を借りた。恐ろしいタイトルだったが、これがブラックユーモアに溢れた内容で、十分に楽しめると同時に国家と個人というテーマに切り込んでいて見応えのあるものだった。それは「戦メリ」の感動とは異なったものだったが新しい衝撃があった。それからむさぼるように彼の映画を観た。大胆で実験的な手法と社会的なテーマに魅せられた。そして当時東京学生映画祭なるものに参加していた僕は実際に映画祭の出演交渉を行った。恐る恐る自宅に電話したのを今でも思い出す。やはり彼の声は太くて鋭かった。

何年か後にヨーロッパにを旅したとき、イギリスの学生に「愛のコリーダ」の噂を聞いた。そして実際にイギリスに行った際、映画を観た。その強烈な性描写は焼き付き、大島が本気で性に向かい合ったと思いその迫力に圧倒された。実際この作品は世界的なセンセーショナルを巻き起こしクインシージョーンズが「愛のコリーダ」という歌を歌ったりしたのだ。