人間の証明

2010 10月10日

あのころの角川映画のような映画作りは最近見かけない。

特撮や派手なハリウッド映画でなく本格的なドラマを魅せる映画。それは良質の小説、物語を作ることのできる出版社とのコラボだったのは今でも新鮮だった。漫画が原作でもなくテレビの映画化でもない。中でも「犬神家の一族」と「人間の証明」はわれわれの世代には強く印象に残っている。犬神については語りつくしたようなので、ここでは森村誠一の「人間の証明」について語りたい。あの壮大で人間の琴線に触れる物語は類型を今ではほとんど見ることが出来ない。大学時代、「砂の器」の焼き直しじゃないか、という輩もいたし、確かに松本清張を追うようなスタイルの作家であることも事実だ。それでも自分たちの世代には「人間の証明」がしっくりきた。それは現代的であると同時に映画を前提とした視覚的、音楽的な作りの物語だったこともある。無名の森村に角川春樹が「人間の証明」になるような物語を作ってほしいと伝えたこと。自分も同じような荒んだ境遇だった松田優作が主人公と自分を強く重ねていたことなど、伝説は多い。ひさしぶりに興味がわいて今回改めてはじめて小説を読むことにした。

映画のほうが感動した。音と役者が圧倒的だった。それでもただ熱いだけの優作には荷が重かったかもしれない。何年か前フジでドラマ化していたときは時代設定自体が違っていた。おまけに黒人の役を日本人がやっていて、主人公を竹ノ内豊が演じたのが駄目だった。なんにもリアリティを感じず観なくなった。主人公棟居はこの世のすべてを憎んでいるような男だ。特に母を憎んでいるし、彼の背中には戦後という時代がのしかかっている。該当する役者に佐藤浩一と豊川悦司くらいしか浮かばない。優作は30代くらいで演じることができる役だったろうな。石橋凌もいいな。まあいろいろあらもあるが「人間の証明」もあの時代の角川映画でしか作りえない忘れがたい物語だ。

母さん、あの帽子どうしたでしょうね

ええ、夏碓氷から霧積へいく道で、

渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ