今とへちま

2010 5月29日

「今」の感性は常々大事だと思ってきた。流行という意味でも情報という意味でもない。今のセンスということ。かっこよさと時代性というのは重要な問題だ。まあ今回はその話じゃない。

問題意識をそれなりに抱えて生きてきたつもりだ。社会的問題意識というやつだ。しかしこれが共有し得ない。ニュースでみんな共有してないか?といわれても違うと思う。この話はもちろん今まで関わった表現者など一部の例外を除く。何度か若い層とディスカッションまがいなことをした。話は通じる。しかしいざ表現しようとしたときつまずく。つまり表現まで至っていないことに気がつく。この表現は美術だけではなく社会活動でもなんでもそうだ。自分に自信が持てないと表現などできない。ましてや社会問題に深刻に向き合うことや、提言する、問題意識を持つまで至らない。その手前で四苦八苦している。他人と共有するまえに自分の問題で手一杯。一緒に仕事をする、表現をする、提案をすることは不可能だと思えたし、何より危険だと感じた。

この問題は深刻で、会社の業務にも関わるだろうし、サッカーの日本代表などの自信のなさ、果ては夫婦間の問題まで、そしてそれは日本そのものの現状に関わるくらいの話だと思う。弱点を指摘されることをおびえているように思えたし、自分が危険だと感じたのは、直感的だが正しかった。戦時中に置き換えれば部隊は全滅するようなものだからだ。未婚、離婚、早期転職、すべてに通じる。個人が成り立っていないので組織が作れないという問題だ。家族も作れない。子供も育てられない。会社も成り立たないし、社会も成立しない。仕組みだけコンピューターに強化されてじぶんがぼんやりしたまま右往左往する。行き詰ると他人に八つ当たり。機械に振り回されてノイローゼばかり増えて、、。ふう・・。ぼんやりしてるうちに中国あたりに侵略されて、組織もへちまもなくなりそうだな。

首相からしてそうだ。まるっきりへちま。