今と表現

2009 1月14日

時代に敏感なメディアはやはりテレビだろう。ネットは海外の情報や書かれない口コミに威力を発揮する。新聞は深く自分の思索と一緒に読むことが出来るが肉体感がない。テレビニュースには一定の規制があるので同じような情報しか流れない。だから手を替え品を替え煽り方で競う。なぜ競うかと言うと視聴率に帰結するからだ。そう言う意味で小さなことを大げさに取り上げる癖がつく。だから音を消して映像だけ見ることがある。もちろん構成に方向性があるが臭いまでは消せない。

ドラマとCMのほうが時代に敏感だろう。CMは厳密にターゲットが決まっている。若い女性層に受ける企業の商品があれば、彼女たちに売れるCMを作る。CMを観るにはその層に一番受けるドラマを作る。連ドラは一定の期間観るのでCMが効果的になる。自然今の人間に興味があるドラマが作られる。「銭ゲバ」なんてとんでもないマンガがドラマ化される理由があるわけだ。利益に直結してるだけにこの部門は早い。

自分は最近はここに実際の群衆に触れるという現実的要素が加わった。なにかを通した世界ではなく、自分の目でも見たい。

一方文化面では反対に時代に反応が遅い。音楽が一番早い反応があるはずだが、市場が硬直して身動きが悪いのか60年代などに比べ鈍い。最近は海外の映画が面白いし早い。「ゼアウイルビーブラッド」「チェゲバラ」なんてとんでもないのが出てくる。中国も「レッドクリフ」なんてやるし、アメリカ資本でインド人のスラムからのサクセスストーリー「スラムドッグ」なんて出来る。日本映画は全然駄目。アートはマーケットが正常じゃないからヘンなトレンドに振り回されてずれている。遅い上にずれている。全く始末に負えない。(笑)

それでも今回絵画で、今を描きはじめた。このずれたジャンルでボケた連中のなかで、あえてやる意義があるんじゃないか。今の群像、集団を描く。今住んでいるこの世界の。今見えている社会の人たちを。世界のどっかを描いてもしょうがない。 普段生きていて見える世界を描く。

いま、ここを、描く。