反抗

2008 8月28日

大学当時映画製作に携わっていた。しかし絵画制作の延長上にあって個人で製作する姿勢で映画を作ることは、いい結果にはならなかった。それより東京中の学生を組織した、「東京学生映画祭」の委員の一人としての活動が印象に残っている。現代美術畑に戻って銀座のギャラリーと関わったが、その世界の閉鎖性に拒絶反応があってすぐに離れた。友人たちの「スタジオ食堂」にも結構関わったが、若干遠い距離を感じていた。何かに抗っているようには思えなかったからだ。だから作品は作るがその美術の社会は気に入らないという期間が長く、市井の一人間として働き生きていた。居の移動やなんやでふいに作品を発表する機会が訪れて、発表したとき同じ問題が突きつけられた。現代美術のシステムや社会に対する怒りだ。しかしそれまでと違ったのは、少なからず自分の作品や姿勢に共感してくれる、戦う人間と出会っていたことだ。だからそれを組織化することによってはじめて対峙できると考えた。今の社会で既存のシステムに反抗的な人間は、ひとりの犯罪者として始末される。組織化できない仕組みが洗練されている。加えて経済を中心にシステム作りを行っている連中は頭がいい奴らが多い。一個人の反抗など屁の突っ張りにもならない。だったらそれなりに頭を使ってやろうじゃねえか、というのが俺の結論だ。俺はおもしろいことがしたいんだよ。だから今やっとおもしろくなりそうな気がしている。