書物と出合う

2010 9月15日

書物というものは普段はなにげなく眺めることも出来るが、ときには大きな存在になることがある。

養老せんせいの本はもう飽きた感じなので、たまにわけわからんところを狙うか、と思って横尾忠則の対談集「宇宙瞑想」を読んだ。1980年の本だ。まだ健在な岡本太郎や手塚治虫などとの対談だが、印象に残った方はほかにいた。

島尾敏雄。映画で有名な「死の棘」の原作者。戦時中は特攻隊の指揮官。小説は自身の女性遍歴から妻がノイローゼになった体験を基にしているらしい。夢の日記を多数出されていることでも有名。ここでは淡々と夢の体験について語る。興味深いのはその距離のとり方だ。夢に意味や妙な関連を求めない。あるがままのものとして受け取っていることが新鮮だった。「わからないけれども、まあそういうふうなものだろうとして受け取っているだけです」「四十代、当時もう人生は終わりだと考えていたことは今にして思えば残念ですね。終わりじゃなかった、まだ若くて。戦争すんで帰ってきたときに、なんだか余生のような感じがしたんですね」「現実の体験、それは強烈だけど、五年たち、十年たち振り返ったとき、夢の中の体験と変わらなくなっちゃうんです」

陶芸家の加藤唐九郎。もともと代々焼き物を焼いていた家だったが、産業革命で機械が名人たちを追いやり、自殺したり犯罪を犯すもの、名人職人が没落する様を見て、これは駄目だと思い実業家になった。しかし事業はやればやるほど駄目になって自殺しようと思ったという。ボロボロになってキリスト教にであったり文学をやったりしたが駄目で土いじりにもどった。今度は商売じゃなく芸術をやろうとして。「世の中っていうのはいくら真面目にやってもやっても真面目を認めやしないと。いくらなにをやっとっても、結局自分のやりたいことをやったほうが勝ちなんだと思った」そして陶芸作家が誕生した。

木村裕昭。医学博士。外科医だったころ病気はどうも繰り返す、切っても別の場所に起こる。原因が別の次元にあってそれを肉体に投影するのが病気であると考え、予防医学に進んだ。ものの考えや性格を変えたいと思っても、変わろうという意識が働いている間は変わらない。「潜在意識の中で変わらないもんだということを認めているからです」「性格というのはこころの癖なんです。人間はなかなか癖から離脱できない。環境から自分が支配されていることがわかり、いろいろやってると癖の意味がわかってくる。性格の意味がわかってくる。性格がなにによって由来してるかということがわかる。そうすると自分の癖を見つめることができる。見つめるだけで癖は消えてゆくんです。だから癖を変えようと思っている人は癖を知らないし、見つめていない証拠です」

偶然、この対談を行った当時の横尾と今の自分は同じ歳だった。