残酷

2008 12月12日

残酷の意味について聞かれた。

若い女性と話したときのことだ。あなたが残酷と思うことはどんなことですか?そんな風に尋ねた。殺人事件とかでしょうか?ひどい殺されかたをした人とか。…僕は人の噂とか、いわれのない中傷とか、ひどい陰口とかを残酷だと思います。そう言うと、彼女は目を開いてうなずいた。

他人の視線は残酷だ。その中で自然に素直に自分らしく生きることは難しい。気がつくと人の視線ばかり気にして生きる。自分も残酷な視線のひとりになる。自分が人目にさらされるのを誰もが恐れる。

個展を開催してしばらくは不安だった。特に美術屋の残酷な視線を知っていたからだ。妻は無垢に満足げだった。最初年配のオヤジばかり来て、芳しくない反応だった。そのことは妻を傷つけた。彼女は作品と一体化していたのだろう。自分たちの恥ずかしい行為をさらけ出して評価されない。それはただの作品への批判より深く傷つくだろう。そのリスクはもちろん最初からあったし覚悟はしていた。評価されなかったり中傷されることは、下手をすると自分たちの関係にも陰をさす。本当にそれは残酷な結果を生む。多少の動揺を隠して観客の反応を冷静に眺め続けた。

生々しい。

誰かがそう言った。 作品がストレートに伝わる実感が持てたのは三日目のことだった。