2005 3月13日

海がきらいな人なんているのか。そう思う。

郷里の海は荒々しくも果てしなく広がる太平洋だった。決して安易に人を寄せ付けない厳しさと、豊かな資源を提供してくれるおおらかさを併せ持っていた。成長して都会の海を知った僕にはそれがあの故郷の海と結びついているとは思えなかった。

しばらくして文学や映画や様々な芸術の中で海を知った。ランボーは地獄の季節のなかで永遠の海を語ったし、ゴダールは気狂いピエロのなかで美しい地中海と空のなかの死を語った。三島由紀夫も午後の曳航で果てしない海の栄光を語り、ドビッシーは海を奏でた。

そしてもう一つの海に出会ったのは、やはり場末の薄汚れた街の片隅で出会った女の肉の中だったかもしれない。すべての生命を吐き出させる豊潤さと残酷な動物性、そしてなにもかも包み込むような生命感。

時が経ち、 一人のくたびれた中年の男になってやっとわかった。

あの都会の海が郷里の海と結びついていることが。