清張

2009 11月21日

ラジオ生活もいいんですけどね、気晴らしに昔のたまったHDの見てないテレビ見ることにした。

清張の「駅路」。脚本向田邦子。よかった。今の時代にもてはやされるのもわかる気がしたし、自分がそういう年齢になったこともある。

十代で清張の作品はテレビドラマや映画でおみうけした。しかしそれは上の世代の欲と愛の古臭いドラマ以外のなにものでもなかった。「砂の器」より「人間の証明」の世代だった。文体もまったく入ってこないものだった。本を開いた瞬間にわかる、作り物のにおいがイヤだった。これは山崎豊子も同じ。司馬遼太郎、大岡昇平、三島由紀夫、坂口安吾が断然リアルだった。

はじめてきちんと読んだのはノンフィクションの「日本の黒い霧」だった。これと八つ墓村のモデルになった連続殺人鬼のルポ「ミステリーの系譜」以外読んではない。

しかしこのごろドラマを通じて腹の底に入ってくることになった。古くは「鬼畜」「天城越え」「西郷札」たけしの演じた「点と線」そしてこの「駅路」などだ。なぜそうなるのか。人の中の色と欲。それを決して否定などしていない。そこに人間の悲哀をみる。しかし物語りはたいていが刑事の目線だ。それはやはり許されない。その一線が通俗であり、メジャーである理由かな。

そこがイヤだったのかもしれない。今理解できるようになったのは時代かね。年齢かもしれないな。

そしてこんな絵が出来ないかな、と最近考えている。