点と線

2010 3月18日

生きていると面倒な考えがまとわりつく。世間はこうだから、この年齢になったらどうだ、なんだかんだ。転ばぬ先の杖にこうだ、この食べ物はこういう栄養だ、そんなことばかり。

目には見えないそんなものに翻弄されていると、自分を見失うことばかりだ。なにも考えない。無心になってひとつのことに集中する。それが最も難しいことだ。自分だってそうだ。迷いながら、よそ見しながら、ほんのときどき集中する。無心になれるひとの栄養をもらって。たけしが主演の「点と線」も気持ちを集中するさいの栄養の一つだ。

主人公は定年まじかの刑事だ。戦争の悲惨な体験をかいくぐり、生きてきた男。刑事は犯人を追うことに徹する。事件は心中に見せかけた偽装殺人。被害者は権力の口封じに殺された弱い立場の人間たちだ。刑事はなにもかもの垣根を越えてひたむきに犯人を追う。家族も省みない。仕事の管轄さえ超える。寝る間も惜しんで権力の罠を暴きつつ、かかわった人間たちの本質に迫ってゆく。殺した人間もまた、権力の犠牲になっているあわれな人間だった。寡黙で事件のことしか考えない。警察の中の権力さえくみしない。無欲な仕事一筋の男。家では黙って酒をあおる。こんな父親を僕たちはずいぶん昔に見たはずだ。彼は死んでいったものたちの思いを何度か代弁する。

生きたい、生きたい。そういうてるように思います。

そして戦争時代の死んでいった仲間たちの思いも語られる。

殺されたくもない。殺したくもない。生きたい、生きたい。

そんな言葉を聞いていると、自分も死を隣に感じたときの思いが重なってくる。

生きたい、生きたい。一秒でも長く生きたい。どんな状態でも少しでも長く生きていたい。あのとき確かにそう思った。

今はそれが少し変わった。

描きたい、描きたい。人間の存在を丸ごととらえるような作品を作りたい。そう考えるときに、武の演じた鳥飼のあのまなざしを思い出している。