現実

2011 1月8日

なんでこんなこと言うかというとですね、ここ数年自分がそうだったから。

頭で企画やコンセプト作って動くというやり方を試みてた。からだが後からついてくる、ついてこさせる。デザイン的、普通のビジネスのやり方に近い。どうもそれがしんどい。ガソリンでもそうだった。土の企画もまさにそれで体を合わせるのが苦痛だった。頭で変えようとしていたわけだ。社会主義みたいなもんだな。アートや表現というものはそれでもやれてしまうし、世の中がその流れで来ている。それが違ってきたのがヌードの授業で最初は相手も見ずに強引に変えようとした。生徒が激減してすぐにまずいと気づいた。自分を消してとにかく相手を見るようにした。するとおもしろくなってきた。いろんな個性があるな、と。こういった授業でありがちなのは、どのモデルが来ても同じような絵を描いてしまう、絵に現実を合わせてしまう傾向ができることだ。つまり頭に現実を合わせようとする。そうじゃない、ここにいるのは人形じゃない、生きている人間だ。ひとりひとりの人生や個性がある。だから来たモデルさんの特徴を一瞬で見抜いて言葉で説明するようにしてきた。生徒さんの絵もどんどん変化してゆくのがわかった。このまえモデルのオーナーからも、こちらの授業はおもしろくて勉強になる、となんとモデルの全員が言っているという。自分の方向は間違ってなかったな、と少しうれしかった。からだの個性を尊重しよう。考え方なんてあてにならない。からだをもっと動かそう。からだに考え方を従わせる、瞬間瞬間で考えてゆこう。大事なことにはみな慎重になる。芸術だなんて大げさに考えることもないぜ。