生臭いところ

2010 5月14日

土に作品を描くということと、ちょうど人に教えたりもしていることと、古典絵画について調べるということが妙に一致している。流れかな。

今までそういう視点が抜け落ちていたのか、支持体について知らなかったことが多い。西洋絵画は16世紀まで板絵のほうが多い。ダビンチもそうだ。板はイタリアならポプラ、オランダならオーク、ドイツなら菩提樹、という風にその土地の木を使う傾向にあった。しかも中世のギルドは、質のよくないものを使う場合に罰金を課したり、重要な仕事の場合審査を通った木しか使用できないようにした。木は十分に寝かしたもので厚さも一定の厚さを必要とした。

壁に描くのはフレスコがやはり適していたようだ。 しかしフレスコは早く描かないといけないし、技法的な理由で重層的な色になりにくい。ダビンチが最後の晩餐に油を使った理由もわかる。空気遠近法を壁画でやりたかったに違いない。実際にミラノでみた。建築のつくりと遠近法がぴたり合わさった構図だった。ここは油で空気を表現したかっただろう。テンペラを混合した油だったようだ。結果はすぐにはがれ始めてボロボロ。しかしここであえてつっこむダビンチがいい。フレスコなんかできるか!空気だ、俺は空気なんだ!多分そんな感じだろう。(笑)

カラヴァッジオの影響が意外にいろんな画家にすごくあったのを最近わかった。もっとマイナーな方と思っていた。ドラマチックで現代的で生臭い三文小説的な部分もある。人生がめちゃめちゃだからねえ。決闘で人も殺してる。歴史から抹殺されていた感じだ。あ、自分もデレクジャーマンの映画で知ったくちです。

まあでも絵描きとか芸術家もね、めし食って女(男)抱いて、へーこいてる生臭い人間ですから。

生や今が見えないと興味ない。