発見

2011 5月6 日

人間に一対一で向かい合い絵を描く。この企画は自分にとって大きいものだと感じている。

ただ作品を作って発表する、ということに自分としてはなにか足らないものを感じていた。もちろんそのことで大きなものを得る人もいるのだが、自分にとってはなにかが足らなかった。社会と関わるということ。だから社会的なテーマを引っ張ってモチベーションにしてみたが、やはり美術と言う枠のなかでしか見られない。(テーマの集団も人間の集団は社会そのものである意味がある)「ガソリン」では出資者を募って制作費を捻出することを試みた。これはマーケットに表現が過度の制約を受けているから、金の流れを変えて表現の自由を確保しようと考えた。幸い多くの出資者を得られたが、チームを維持する思想に隔たりがあった。今回はもうそういったことすら排除して、直接観客とやりとりをしてお金も展示も含めて一対一でやる。これも金の流れ方を変えることでは同じだが、対象が明快で表現を観客と発見してゆくという深さがある。さらにそれは社会や個人、人間に接近したものだと考えている。余計なものを介在させないことで純粋な人間同士のぶつかりあいを見たい。社会に関わりさらに社会的制約を排除した生身の関係に至る。そこにほんとうの社会があるかもしれない。似顔絵ではなく、その人の人生そのものを含めて描こう。そう考えている。

先日の菊崎さんの作品を描いて身内の方から質問があった。いろんなひとを描いてやはり人生を知ってから描くのと知らないでは違いますか。「違います」いろいろ聞いて最初の印象と違ってたということはありますか。「いまのところないです。直感で最初にわかってることが大きいです。聞けばなるほど、あの感覚はこういうことか、と納得することが多いです。そのひとの人生はすでに表に現れています。それがわからないのはこっちの感性が鈍いだけです」そう応えた。しかしこれからそうでもない人も出るだろう。いまのところそういった方は最初から断られているようだ。そのうちそうでもなくなるかもしれないし、そこも大きな経験になるだろうし発見があるだろう。