真逆の世界

2010 6月28日

こども殺す母親が増えた。

こどももいないお前が言う筋合いはない、なんて言われそうだけど、まあ自分なりに思うことを書いてみようか。

ひとつには他人の目線がないということ。姑とかの身内は嫁には不快かもしれないけど、子供のためには必要だ。近所の人間でも何でも他人の直接の目線が抑止する。人が見ていないと人間はなんでもしでかす。自分で生んだということがここでは悪く作用する。もうひとつの他人の目線は神様とか宗教の不在。神様に罰せられるというのはそういう意味があったはずだが、現代社会では通用しない。

それから頭の世界に今の人間がいること。受験も恋愛も頭の世界だ。携帯もツイッターもそうだ。頭の世界になれると現実の面倒やスピード感の遅さが不快になる。赤ちゃんは丸ごと体だけ、感覚だけだ。真逆の世界にいるわけだ。我慢できないだけじゃない、予想できない存在に恐怖もあるだろう。赤ちゃんの叫びで他人からの批難も恐れるのが重なる。肉体的に制圧できるだけに、その方法を取るような人間は昔から何パーセントはいただろう。ただ抑える環境があったのと、赤ちゃんという存在と今の世界が離れすぎているだけだ。この国にはあたまのいい学者や医者がいっぱいいるんだから、出産した後の生活のあり方をきちんと指導するとかもちっと具体的にやらないかね。携帯から一時的に遠ざかるとか、家族構成も一時的に変えるとかなんかしらの具体的な指導が必要だ。もう個人の努力では追いつかない。前の世代はこういう社会作った責任があるだろ。ただモラルとかで責めてもだめなのは連日のニュースで見たらわかる。

大阪府が通報するとか介入する権力を強めるとかやりはじめたけど、そのやり方にはやはり賛成できない。通報におびえて怒ることも出来ないなんて家族のあり方そのものが変わってしまう。大事なことは冷静で具体的な対応だ。

むやみにそういう母親を責めてはいけないと思う。