社会を描く

2015 4月24日

人の人生を伺いながら絵にしてゆくと。

スケッチにそのまますぐ描くと、ありのままの状態が絵になることが多い。そのまま渡せばいいが、ああいった亀裂の入ったタフな支持体では絵にならない。材料という現実が介入する。材料との対話になる。しかもこの亀裂自体が背景の絵として描かないといけない。これが難しい。しかしうまくいくときは、すっと流れるように進む。そして二度とやり直しがきかない。

これらの絵を描くきっかになったのが「残酷」という個展を行ったときだ。自分たち夫婦の裸の姿を描いた。社会の最小単位である家庭、夫婦という存在を通して人と社会を描こうとした。 そこから紆余曲折して個人個人を対面して描くことを始めた。これが数十人、百人という単位になったとき、ある時代に生きた人たち、社会を描くことになるだろう。