神秘

2010 4月9日

ダ・ヴィンチの「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」という言葉は意味深長だ。

彼は解剖をよく行った。眼球の研究などよく行ったらしい。わかる話だ。よくある解説には「内部を知り絵をより美しく真実に近づけようとする目的から」解剖を行った、とされるがそれは違う。絵画にしても一つのパーツに過ぎない、とみていた。鳥の飛行に関する詳細な研究。橋の設計。というより、水と水圧の研究結果から導きだされたものだろう。歯車を用いた計算機の構想、自動車の構想など関心の対象は枚挙に暇がない。つまりどの分野にも等間隔に関心を抱いている。関連付けて等価にとらえている。モナリザの背景と人物のように、すべては等価値なのだ。それは彼の思想そのものだ。人間も自然界も同じ原理原則の下に成立しているという。

自然から構造や原理を導き出して 、数学的応用してゆく。そこに人間的な主観を介在させない。医学者のように冷徹であろうとしただろうし、中途半端な神秘なんぞまったく信用していなかっただろう。冷静に科学的に自然に迫ろうとした記録が絵画に定着させられた。

人間的な神秘を徹底的に排除し、自然界の完全な解説であろうとした結果が神秘性を帯びてしまう。それは私たちが広大な砂漠や極寒の地の巨大な流氷を見たときに感じる神秘性と、同じようなものなんだろう。