美術界

2013 5月8日

さて美術の話。この世界は自由に表現をしていいと思っていたら、まったくそうじゃなかった。大抵は今のトレンドの真似の真似。結局マーケットにギャラリーもアーチストも支配されていて自由ではない。もうひとつは古典的なコレクター向けのマーケットがある。これは印象派の亜流、現代美術の亜流。額縁だけなぜか19世紀以前のアカデミズム。ポロックの研究してたら日本人が描くと県展の抽象画になるとわかった。最近は多分村上もどきまで入ってむちゃくちゃなんじゃないか。この現代美術がくせ者で、結局は西洋人の作ったアートだから、西洋人が買いそうな日本的な作品を日本人が西洋人の目線で作ることになる。村上隆とかアニメっぽいのはそうで、それゆえに日本人には共感出来ない。アートマーケットは形の変動を嫌うので、時代の動きにこの世界が一番遅くなる。陳腐で間抜けな作品が多いのはそういう理由。これは日本だけでなく韓国も中国もそう。頭の表現がメインになることはないから、現代美術が一般生活の文化に浸透はしない。例外は瀬戸内の島などの立体アートだが、あれも建築のオプション、延長にあるだけで単体で成立しない。いくらヘボでも日本映画は日本人を撮る。歌手も日本人の声で歌う。今後美術がその国の人間を対象にしない限り主流にはならない。誰も買わないおかしなものに高額な値段を勝手につけて価値を無理に作っている。

自分は美術の社会性に属さない作品を作りたい。現実の社会に属した作品を作る。純度の強い目の前の人間に向けた作品を。