自分

2014 9月2日

最近ダビンチさんのこと調べてますけど。

まああの時代はああいったトータルで仕事するのが当たり前だったようだ。師のヴェロッキオや同時代のミケランジェロもさまざまなジャンルに手を広げている。それでも異常な好奇心と観察眼は並外れたもので、天才と言われるゆえんでもある。音楽家、軍事プランナー、彫刻家とかやってますけど、ただむやみに万能の天才と言うのも言い過ぎかもしれない。万能の意味も今と違い、芸術家と言う概念より職人、作業者という色も強いので、いろいろやらないと食っていけない時代背景がありやらざるを得ないという事情があったんだろう。もしかしたら同時代の他の職業意識も専門に特化するという考えが希薄なのかもしれない。それにルネッサンスなんてのんきに聞こえるが戦争をしている時代だ。小さいことにこだわってたら生きてはいけない。

作品が黄金比や数学的論理の集大成のように言われるがそうではないと思う。もっと自然なリズム、感性だ。数字に合わせるとウッチェロみたいにデザイン的になる。自然の謎を絵画に閉じ込めた男としてはその方法は正しい。構図にしても伝統の延長にあるもので、学者のような数字や論理の奴隷ではない。すべて理詰めであるかのような錯覚を起こさせるのが罠にはまる第一歩だ。もっと洒落てるし色気や妖気もあってセクシーだ。しかしそこは論理を越えた本人の体質、存在がまずあってこそのものだ。外側ばかり懸命に描いていたら、そこを突き抜けて知らぬ間に自分がにじみ出ていたに違いない。

あの膨大な文章の中でほとんど触れられていない、誰にもあえて言いたくもないありのままの自分が。