解放する

2012 1月12日

ライブをビデオで改めて拝見。

演奏の二人の対応能力に驚く。しかし自分の作品の方は前のメロンのときよりいまいちだ。紙を小さくしなくてはいけない制限とリハのなさでシュミレート不足、経験不足が露呈している。パターンに陥ってるし、人の形態はやはり稚拙になる。木炭は豪快な直線や曲線が合うし、バリエーション出すにはこれまた経験不足だろう。しかし人前でやることの意味の大きさを改めて認識した。人とやることも。経験不足は経験で補うしかないのでまた今月やることにした。

思えば自分はそういう集団、集合体を作ることをやりたかったに違いない。いつもきっかけは他人からだけど、それで気づく。美術のユニットでもミーティングしてすぐに外に出てやるくらいにしたかったが、そうもいかなかった。多ジャンルで実現するとはね。16年くらい前に絵を外で展開するというシュミレートをしたことがあった。そのときは新宿駅ビルMYCITYにバーンと作品を貼る。東京駅の地下道に作品を塗るという想像図だ。美術館やギャラリーで展示するから芸術と言う予定調和から表現を解放する。先日も荻野くんがいろいろこのことでネットで議論してたが、いきなり理解されるものはすでに古いフォーマットだろうからそれは正しい反応だ。表現は体制の側にあるんではない、我々庶民のものだ。それはいつも地べたから生まれる。観客は偉い人や専門家ではなく、常に予期しないどこにでもいる誰かだ。