走れ!

2010 4月9日

日本代表の試合ひどかったな。ゴイスさん聞いてる?

弱くなったし、ビジョンも見えない。オシムの言葉が響くな。走れ!なんか走らなく、走れなくなった。サッカーほど、国とか民族性を問われるスポーツはない。だから熱狂もするし、非難もされる。日本人だけの組織作りだとこの競技は見えないし、なにもしらなすぎる気がする。どうしていいかわからない、という状況が見えてしまう。同じ間違いをいつも同じところで犯している気がする。政治とそっくり。競合して勝つ組織作りが難しい。日本の組織は足の引っ張り合いが多い。責任もたらいまわしだ。血の気の多いやつは、孤立する。うまく運営しようとすると、なあなあになることが多い。自分も少し経験したのでわかる。なあなあでやる意味はないので、分裂してもいいのでそういった人選にするしかないというのが、自分の答えかな。サッカーはもっと難しいとは思うけど。HERO待望願望もよくない。HEROはその背景がその英雄を作っている。坂本龍馬がいまいたら、とかいう話もうんざり。

オシムが言っていた。陶酔も絶望も同じだと。客観性を失えば死んだも同然だと。勝負だけでなく、それは芸術家にも言える。ビッグイベントでの派手な部分だけ見ると本質を見失う。アーチストは個展とか、ショーの場合か。投機性が高い世界だと思われるが、実際はそんなに単純ではない。個展も含め日々の積み重ねがどうか、ということのほうが重い。成功した、しない。値段がいくらだ、海外のアートフェアがどう、とか以上に、日常の積み重ねや、周囲にどう影響を与えたり信頼されていたりするかが大きい。単純に発表とかが楽しいと思ったことはない。何かを作り上げるには、苦痛を伴うことが多い。ときどきチベットの僧侶の修行か!と思うほど拷問にあう気がする。しんどい部分では普通の仕事と同じようなもんだ。日常生活とどうかかわり、その延長であるか、積み重ねがどうであるか、一貫性をどこまで維持できるか。派手なことにまどわされるより、その部分が大事。

陶酔も絶望も事故にあってるようなもんだよ。

深く入れ込むと、回復が遅くなる。