集団

2006 4月3日

「集団」について描いてるアーチストが語る自分の集団。

物心ついたころから家族以外に親戚という大きな集団との結びつきがあった。小学校、中学校では友人との集団の友情があった。そういった中の緩やかな結びつきは好きだったが、部活のような組織は嫌悪していた。明快なルールと序列がある組織は。

仲のいい集団が出来るとそこにある妙な強制力が嫌いだった。最近付き合いが悪いとか、なんで日曜の野球の大会に来ないんだとか馬鹿なことを言い始める。狭い結束の固い集団というのはその中で妙な上下、権力関係が出来たり排他的になったりと実に日本的な和ができる。それでもダチの付き合いで高知のよさこい祭りに毎年参加したり、大きな集団の高揚感とかも大好きだった。大きな転換があったのは父方の親戚との確執。無批判な集団が無邪気にだまされて人を平気で攻撃する最低な瞬間を見た。攻撃されたのは僕らの家族だった。後で手のひらを返して来て笑顔を見せて来たことを忘れない。絶対に許さないと思った。今のイジメじゃないけど、こんな集団の暴力は常にある。だから曖昧にはしないようにしている。何年つき合っていようが血が繋がっていようが関係ない。それでもつき合っているのが母方の親戚。ここはそれぞれがアクが強く、強烈な個を持っているから適当に文句を言い合って丁度いい。結婚して余計に付き合いが強くなった。あとは小、中学校の連中。さすがに10歳くらいから続いていると無理がない。しかしそれでもというかそれだから、今の個に埋没する世界に反発したい。個人としても、大きな中の一人としても。