雨のした

2011 7月7日

芸術、絵画ってのは自然を取り込む作業だとも言える。自然を描くこともそう。人や自然。そしてキャンバスの中に自然を発生させる。偶然起こることに身を委ねる。そうすると世の中で排除している自然、生命をかいま見ることがある。自分の腕から描く作業も一つの自然と考える。

肖像画はまた一つ違う。相手に似ないといけない。そして本質をとらえないといけない。そこに技術もいる。人為的操作もいる。

すずきさんが大阪に来た。すーさんは昔の職場の先輩。今はビルの管理人だ。勤務中に俳句や詩をやりすぎてクビになった。(笑)というより俳句作る合間に仕事をたまにやっていた。あ、ラジオも聞いていた。そんなふざけたおっさんだ。若い頃は学生運動や政治に首を突っ込んだり、アングラカルチャーにのめり込んだりした。俺は当時仕事そっちのけですーさんと話すことに夢中になってしまった。今は54歳か。離婚されて傷心だろうと思っていたら最近再婚されたみたいだ。やるな。なんでも大阪に奥さんと歌舞伎を観に来たみたいだ。なんて優雅なんだろう。道頓堀で6年ぶりに再会した。くしあげ屋で夫婦生活や仕事について話した。縁もゆかりもない関西に来て本当に大変だったし今でも大変だ。結婚も美術も正直もう駄目なんじゃないかと何度も思ったし、特に美術の世界の孤立感は今も深いんですよ。そんなことを話した。千光士くんなんか年上に好かれるんじゃないか、そういう。割とそうですけど、こっちが心を割ることは少ないんです。恐縮してしまうんで。すーさんは数少ない年上の友人の一人ですよ。えらそうにしないし、いろんな意味で大きな理解があるんですよ。まあほんとうにえらくないんですけど。(笑)こら!今は人間を描いてるんです。近代が否定して来たものに向き合おうとしてるんです。なにか自分なりにこの世に残せるものがないかと思って。それはおもしろそうだな。何が言いたいか何をしようとしているか一瞬で理解してくれる。それでいて人間的に柔らかく時には真剣に空気をまわしていってくれる。なかなかこんな人はいないなあ。そんなかんなで昼のなんばで店を三件ほどはしごした。

途中で雨が降って来た。けっこう強く降って来た。まあいいや、と思った。「千光士くんいいだろ?」という。「はい!いいですよ」それから奥さんがいる松竹座まで小走りで歩いた。俺たちはずぶぬれになった。そしてすーさんは雨を受けながら両手を広げて「雨って気持ちいいなあ!」と言った。