2007 12月5日

友人の中山ダイスケが参加したユニットで初めて飴屋法水を知った。その後中山は彼と決別し、一人で作家として出発した。中山の作品は鋭利で暴力的で、あああのユニットは中山のテイストが占めていたんだなと感じた。その頃飴屋は俳優をやったり、その後なにか動物と戯れて販売する変なことやっていたからよけいだ。

中山はその後ニューヨークでペインティングに転向し、煮え切らない絵を発表し俺と決別した。その後の飴屋のことは知らなかった。今六本木で開催されている作品を写真で見て、自分の考えが間違っているかもしれないと思った。そこには本質的な暴力と獣がいたからだ。中山の暴力は表面的、人格的なもので、飴屋の暴力は本質的で社会的なものを突いてるんじゃないか?そう直感した。

アート界も様変わりした。小山登美男が牽引するアート界で奈良美智イズムがよくも悪くも席巻した。その最も激しい中では動物を売って暮らしていた飴屋が、ブームが落ち着いた頃に発表した暴力的な表現。今は彼の心中にひどく興味がある。