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千光士 誠の作品集がAMAZONでようやく販売されました!2024 5/1
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この本はただの画集ではありません。人間を中心にさまざまな手法で描いてきた画家の軌跡であり、人間関係の足跡の結晶です。見ごたえ抜群の作品集全216ページ渾身の一冊!

編集、デザイン協力 西川浩二(N.D.S)
編集、デザイン、写真撮影、文章 千光士 誠
発行 Takashi Publishing
販売: アマゾンジャパン合同会社

AMZONでは皆様の大変素敵な感想をいただきました。ありがとうございます!
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category 8

 2020年からコロナウィルスの世界的感染が猛威を振るい、世界中がパニックに陥りました。千光士もいくつかの個展やプロジェクトが中止になり、人に出会いない日々を送ることになりました。そして死を意識したことから今までの仕事をまとめようと思い立ち、それがこの本を作るきっかけになったのです。

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 残酷な現実を描写することではなく、ipadでのドローイングなどを行いました。なぜだか色彩豊かで現実とリンクしない表現を行なっていました。内面に向き模索する時期に、もう一度2000年に試みたコミックのような表現を行なったのです。
 そして今さらに新しい作品を生み出そうと試みています。
 
 画集では千光士が影響を受けたアート、音楽、映画、新聞などのインタビューその他についても掲載しています。 

category 7

 一対一で他者と向き合い自分を問われた千光士は、当時77歳(2016年)だった母の姿を残したいと決意しました。多くの人と向き合い、最後は自分を産んだ母と向き合うことになったのです。余計な表現はいらない、ただこの人をありのまま残そうと決めました。作品を作り上げたとき大きな達成感は忘れられません。

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 その後妻の姿も残して、家族に向きあって作品を作りました。愛する人大切な人を残したことは自分にとって大きな出来事でした。

 技術的には一対一で制作した亀裂の残す技法の延長にあり、その前に制作した「最初の晩餐」でも試みた方法が結実したものです。板の上にジェッソを塗り、細かい亀裂が出るように処理を行い、紙やすりで肌の質感が出るように調整した上に、何層にも塗ったアクリル彩色を施しました。細かな皺まで表す手法は気が遠くなる作業の連続でした。category 7

category 6

 千光士はついに人と人に向き合って作品を描くというプロジェクトを始めます。人に触発されて作ってきた千光士が、人そのものを描きだしたのです。

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 刺激のある人物に話を伺って絵を描き、その作品は向き合った方の家で生きてゆくべきだと思いました。ギャラリーで発表したり、コレクターに売買される絵画ではなく、画家本来の姿に立ち返ろうと考えたのです。さらに人の中に入ってゆく人間力を問われる作業に加え、文章に起こすには様々な問題もありデリケートな作業が続きましたが、その後につながる大変意義のある企画でした。(この他にも多くの方々に参加していただきました。) 

category 5

 ライブペイントを行ったのは、音楽家の荻野やすよしさんとの出会いからでした。東日本大震災のほぼ直後に彼がチャリティーライブを敢行したいというので急遽参加したのです。千光士は彼の勇気と行動力に興奮と感銘を受けました。

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 その後自ら駅前の不特定多数の人たちの前でライブペイントをやろうと、荻野さんに声をかけて三宮の駅前で無許可でゲリラライブを行いました。既存のライプペイントは描くべきゴールに向かって実況中継をしているものですが、千光士が試みたライブは描いては消してさらに描くという、その瞬間しか存在しないものを見せるという画期的な試みでした。 

category 4

 その後千光士は結婚を機に拠点を関西に移し、表現方法を人の顔をシンプルな紙と墨で描くことに絞りました。さらに集団などの人の群れに視点を向けました。作品は様々な場と組み合わさることで、インスタレーションのように変化してゆきました。それは関西の神社仏閣、羅漢像などの影響を受けたのかもしれません。

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 さらにこの頃は大阪のギャリストでデザイナーの片山和彦さんと出会い、そのセンスと思想の自由さに大きな影響を受けました。gallery wks.では様々な人たちと出会い、アーチスト同士の交流がとても増えました。また優れた日本画家忠田愛さんとユニットを組んだり、直接作品づくりにも人との関わりが増えました。
 この頃の世相は日本の民主党が圧縮し政権交代が起きた時代でした。アメリカではオバマ大統領が就任するなど、日米ともに変革の時でした。 

category 3

 千光士は人をモチーフにしてどう表現するか模索をしていました。そこへマックスエルンスト、澁澤龍彦、ゴダールの映画など様々なものの影響を受けて作品を作りあげました。人を描くことで抽象的な表現は遠ざかり、なぜだか人から離れなくなっていきました。

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 そして東京では美術以外にも様々な人たちに出会いました。ゴリラ便というヒッピーが集う溜まり場には、世界を旅をするバックパッカーや、演劇、アートなど様々な世界の人間に出会いました。また小学生の頃からの友人梅原洋二さんや彼がきっかけで出会った石元悠生さんという高知出身で東京で活躍している友人たちにはとても刺激を受けました。バイタリティに溢れ人間力のとんでもなく強い彼らは、社会の中で目覚ましい活躍を見せていきました。
 この時代の世相は神戸連続殺傷事件が起こったり、アメリカ同時多発テロが発生するなど衝撃的な事件が多発していました。テロ後のNYにも旅をしたので、作品にも反映しているかもしれません。 

category 2

category 2

 千光士には新たな出会いと経験が訪れます。NYで育ったアーチストの櫻井薫との出会いです。日本人離れした感性と才能にはとても影響を受けました。

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 また千光士は交通事故でひどい傷を負い、数年の闘病を経た後で旅に出ました。エジプトやヨーロッパを旅して様々な人たちと出会います。そんな出会いは作品作りに反映されました。そしてここで初めて人が作品に出てきます。人に触発されて作品を作っていた千光士が、はじめて人をモチーフにしたのです。
 さらに読書と旅というものが、この頃の千光士には大きな位置を占めていました。ここでは影響を受けた本や作家も合わせて紹介しています。 

category 1

 扉の本文に詳しくスポットを当ててみます。19歳の千光士は、佐々木中行と中山ダイスケという強烈な個性と才能を持った友人たちと出会い、美大の受験戦争を乗り越えて作品を発表してゆきます。大学で映像の勉強に励みましたが、やはり彼らと同じ土俵で戦いたいと言う思いにより、現代美術を目指すことになりました。相互に影響を与え、千光士は鋭く重厚な作品作りを目指しました。

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 1986年は彼らと出会った頃でしたが、バブル景気が始まり、スペースシャトルが爆発、チェルノブイリ原発事故が起こった年でした。1989年には天安門事件が発生しベルリンの壁が崩壊。昭和天皇が崩御するなど世界が劇的に変化してゆきました。バブルの景気の良さの中日本が高揚感と能天気さに包まれていたところに、私たちは鋭く突き刺す表現を目指しました。