いろいろな集団

2005 12月5日

一人暮らしをはじめてからいろんな集団に関わった。まず東京の美術の予備校の連中。この連中は思春期で苦楽をともにした戦友だったけどある出来事以来終わった。それはあまりにもお互いを深く知り過ぎていたために、中心の男がセイという人間を大きく勘違いして理解していたからだ。いろいろ知っているのに理解していない、というのは夫婦の話でもよくある話だ。十年近くたってこんな風に思っていたんだ、とわかってショックを受けた。話し合うという余地もあったけれど、何を喋っても勝手に解釈してしまうという相手に(しかも悪く)言葉をなくした。昔は出会ったのが運命とお互い言っていたが別れたのも運命かもしれない。まあ、運命なんかないと思っているのでどうでもいいが。

次にさっきも書いたゴリラ便 。これは貴重な共同体で今の時代にあんなものがあったんだと思い返すと思わず懐かしく思ってしまう。先日ひさしぶりに連絡が取れた。思い返せば自由と平等という社会での位置を学ぶ場だったかもしれない。

それから会社がらみとか、大学のからみとかいろいろあるけれど、自分の場合小中学校から知ってる連中が今でも友人なのは大きい。それは今でも田舎の街が変わらず残っていて実家という拠点があることが大きい。6歳くらいから知っているので30年以上つき合ってる。時間が経った距離感もない。なんだろうね、都市生活者にはない安心感。本来そんなもんなんだろな、人と街と歴史は。街自体が共同体って感じで。でもあんなとこでも都市化が進んでる。最近の家ということも含めて、人と街はどうなるんだろう?