単純明快

2009 12月11日

秋山好古じゃあないが、自分も身辺は単純明快であるほうがいいと思っている。犯罪者や精神の鬱などをわずらう人が陥る理由に、身辺をむやみに複雑化する傾向があるように思う。複雑に思案することが頭がいいと思いがちな馬鹿な話だ。なかにはわざわざ手首を切って自慢するお方もいる。あんまり聞き分けのない人には事故で裂かれた足の傷を拝見してもらう。こっちはつけたくてつけた傷ではない。まあ余計なものが多すぎて、複雑化する時代だが、大なり小なりそんなものは昔からあるわけで、要点をかいつまんで単純化することが生きるうえで大切だ。

自分はだいたい怒ったら見た目も怒ってるし、怒る対象もはっきりしている。家族や身内の変化には機敏に反応するが、そうでもない距離の人はある程度ほったらかしにしておく。

人の関係はなるようになる。

無理に継続しようとしない。続く奴はなにをやっても続く。逆に大事にしようとしすぎると無理が生じる。言いたいことも言えなくなってどこかで破綻する。人の変化にいちいち反応して内面を考えてもわからない。わからんこと考えても無駄だし変な方向にそれてくだけよ。昔を思い返せば、だいたい間違えてることが多かったね。まあ、そんなもんよ。ハハハ。

人間関係は単純明快が一番だ。