安岡美佐さん

2011 8月17日

母はあの企画は素晴らしいと言った。冊子にして渡していたのだ。作品、写真、文章まるごとがいいという。今回はわが一族の長でもある安岡美佐さんの人となりを聞いて描きたいと考えた。これは自分にとっても重要なミッションだ。

なにげなくはじまったインタビューだが、安岡さんは聞いてほしい伝えたいという意志が強かった。それは複雑な人生を背負った者の重みと誇りのような者だった。安岡さんは私、千光士誠の祖母、傍士秋(ほうじ とき)と安岡慶一朗の間に生まれた。この傍士家が山内家の家老で上士の名家、安岡家が土佐有数の郷士の名門だった。この安岡の父は建築家で当時の日本領だった京城(ソウル)で急逝したことによって運命が変わった。士族で町がまるごと自邸の敷地というとんでもないブルジョアだった母秋は、おまけに女優のような美人だった。昭和の初期にチーズを食べて女中もいる暮らしは庶民感覚のまったくない人を作ったようだ。あっというまに鉄鋼会社社長、土居彦三郎と再婚し彼女を捨てた。この土居の長女が千光士誠の母典子になる。ここから以降の安岡さんの話はいずれまたまとめよう。

この秋さん二人の子をもうけたがまたこの旦那が結核で急死、次に共産党の思想家池上と再婚、前妻の連れ子3人に秋との子供一人、秋の連れ子2人、そして安岡家には置いて来た美佐さんがいるというたいへんな人生を歩む。そこへなんにもしらない孫が6人も7人もちょくちょく遊びにいく。正月に一斉に集まる訳だが15、6人もいて、あのときはやたら親戚が大勢いて楽しいと思ってたがこんなことだったとはね。今回はじめて整理して自分も知らないことを知った。次は安岡さんをまとめて作品としたい。

作品は安岡家に置いてもらうことになった。