素のまま

2013 2月19日

そうはいっても自分も若い頃死に場所を探してたようなものだ。しかしそれはどこにもなかった。

俺たちは美術という世界でなにかに一石を投じたいという思いが強かった。友人を中心とするメンバーで優れた連中が行動したことは熱いものを感じた。しかし同時に自分との隔たりも感じた。製品として彼らの作品は大変優れていたし世界的に活躍もしたが、同時代意識の焦燥を共感し得るものではなかった。存在に揺さぶりをかけるもの。それが自分にとっての表現だった。

それは一部の作家、大竹伸朗やボロフスキーなどに限定されるもので 美術の世界でも極めて少ないものだった。それよりも他ジャンルの表現に親近感を抱いた。

美術に所属はしていたけれど、日本で共感を抱く作品は近代以前の作品だった。こんなに世界が激動で揺れたのに、美術界は二十代の時代から大して変化もしていなかった。同じ内容なら優れた製品を作る作家が数人いればいいだけで、後は取るに足らないひとりよがりの稚拙な連中が大半だからだ。

次第に美術の連中に抗っても意味がないと思い始めた。怒った異形ばかり描いていたのが普通の人を描くようになった。一切の現代美術のフィルターをなくしてまっとうな素のままの作品を作る。まっとうなことが実は美術の世界に抗い社会と直接相手にすることに他ならないことに気づいた。