街に出よう

2009 1月11日

まじめな抗議のデモの最中俺が考えたことは「いい女」はいないか?ということだった。

実は群衆のエネルギーの本質的に大事なところは下世話なものが動かしている。正義で群衆は動かない。欲望で動く。欲望のなかに正義と言う言葉も含まれると俺は思っている。60年代学生運動が華だった頃、とんでもない美人がデモに混じってゲバ棒を持っていた。そこが大事だし、リアルだ。かっこいい男も探した。かっこいい男はいなかったがこぎれいな女の子はいたな。

先日そういう人物と話して、むやみにデモや運動を否定した自戒もあって触れてみた。彼らには敬意を払いたい。無下に否定するもんじゃない。なめたもんじゃなかった。デモに参加した人たちがすべて団体に所属してるかはわからないけど、やはり俺はこういう団体に入ったり、ましてや共産党に入って声を上げることはないだろう。一市民の目線でものを作り、声を上げたい。そのほうが何倍も勇気がいるだろう?

実はうちは父も教師でありながら共産党員だった。うちでは思想的なことは一切言わないし、影響は皆無だった。赤旗は毎日配達されていたが封は切られてなかった。一度だけ読んだ。すごく極端なことが書かれていてゴミ箱に捨てた。

もう季節が変わった。なんだかんだ思うが、

書を捨てて街に出る

そんな季節がやって来た。