YOKO

2005 11月10日

CMでジョンとヨーコの映像が流れている。ちょっとなぜかそれを見たときにヨーコに対する印象が自分の中で変わっていることに気づいた。

70くらいの歳だというのに凛としたその姿にうたれたのはなぜか。その歳くらいになると納得させるなにかがあるのか。まあとにかく世界のジョンレノンをのんだその器はすごいものがある。ジョンは確かにヨーコにのまれた。そのことに皆がショックを受け憤った。世界を手玉に取ってシニカルなジョークとそのカリスマ性で駆け抜けた男が一人の日本人の女にのまれたから。

ヨーコは前衛芸術家だからビートルズなんかしったこっちゃない、たたかれようが何しようが前へ出て行った。音楽がどうとか関係なかったんだろう。

音楽的にジョンレノンがある種の革新性や冒険を捨てたのは、政治的な運動が前面に出たからだ。それは残念なことだったけれど「ストロベリーフィールズ」が作れなくなった代わりに「マザー」や「ウーマン」が生まれた。そこには人間的な真実の吐露と成熟が垣間見える。そしてどちらも女性に対する歌だ。

ヨーコにのまれたジョンは幸せだったんだろう。僕らがどういおうとも。

そしてジョンレノンをのみこんだオノヨーコもすごい人物だろう。