画像をクリックしてください

 

 

國吉さんと作品

 

 

人物と作品   國吉写真 

 國吉光孝さんは昭和43年1月27日高知県香南市野市町東野に生まれた。彼のご両親も野市の出身だ。兄弟は五つ下の弟がいる。野市小学校から野市中学校まで通い、小学校の頃は少しお調子もんだが野球好きのかわいらしい愛嬌のある少年だった。中学でつっぱりに目覚め、いっぱしのヤンキーを気取っていたがどこか憎めない少年だった。 

高校を半年で辞め、さらに別の高校も半年で辞めてしまった。やんちゃな仲間とつるんでいた時期もあったそうだ。板前などの職を転々として、東京の居酒屋で働いていたこともある。そこには七年在籍し、池袋で酒と女遊びとケンカに明け暮れて遊び疲れて高知に帰って来たそうだ。

しかし転機が訪れる。ぶらぶらしていても仕方がないので、高知では名の知れた豆腐屋で心機一転働かせてもらうことになった。そこではひたすら働いたという。配達で入ったが、営業からなにからこなし最後は常務補佐までやりきった。無我夢中でがむしゃらに働いた。休むことなくぶっ続けで働きもした。とにかく必死になって働いた。なぜそこまで変われたかと言うと、いい上司に巡り会えたこともあったが、やはり結婚して子供が生まれたからだった。
 奥さんの里美さんは五つ年下で彼女がカラオケボックスから出て来たところを路上でナンパしたという。そのときは電話番号だけ手渡して別れたが、七月七日の七夕の日に彼女から電話があったそうだ。二人にはその日が特別なものになった。三年付き合って26歳のときに結婚した。國吉さん27歳のときに長男祐生くんが誕生し、28歳のときに次男高正くんが生まれて、29歳のときに長女真央ちゃんが生まれ、34歳のときに次女香帆ちゃんが生まれて、45歳のときに三男泰丞くんが生まれた。長男は今は大学生だが一番したのお子さんはまだ一歳にしかならない。それに國吉さんの父母も加わった子だくさんの大家族だ。國吉さんは率直に子供が大好きだという。奥さんももちろんそうで、背丈もあまり高くない小さいからだだが立派にお子さんを生んで育てている。

國吉さんはその後田中食を辞めたが、そこで出来た人間関係を発展させて野菜や海産物の仲買人として活躍する。香南市の観光協会にも身を置いた時期もあり、香南市野市町の物産を内外にアピールし、風土アグリグループ代表を務め、新規の産直市の営業部通販店長もこの8月から任され、バイヤーとして大いに活躍している。

千光士が彼に再会したのはずいぶん時間を経てからだった。若い頃は時折会って皆で飲むくらいのものだったが、仕事に自信をつけてからの再会は大きく印象が異なっていた。彼はいっぱしの大人の男に変貌していた。彼を育てたのは人間関係だ。お子さんや家族との関係、仕事を通じての多様な人間関係が彼を変えた。最近では率先して同窓会を開き、昔の友人一人一人に直接赴き声をかけ、まあ来てみいやと呼びかける。仕事で培った人と人とのつながりの大切さを人に伝えるように声をかける。幼い頃の彼を知っているものとしては、その人間的成長に驚きと喜びを感じる。ただの愛嬌のある少年がこういう大人の男になった。國吉さんはこの高知の野市町の大地で生まれ育った。生家に根ざしそこでまた五人ものお子さんを産んで育てている。それは彼の扱う農作物と同じだ。大地に根ざし育って花を咲かせ種子を蒔き広がってゆく。人間と言うものは本当はこういうものなんだなと改めて感じている。これからも彼の蒔いた種子はさらに大きく広がり、力強く育ってゆくだろう。

彼は私にとって今でも愛嬌ある「クニヨシ」なので、作品も愛嬌と喜びを感じるものを作ろうとした。少しでもその喜びが人に響き合えば嬉しいと思って製作した。

2013年8月26日